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東京地方裁判所 昭和35年(行)128号 判決

原告 大橋達

被告 国

訴訟代理人 家弓吉巳 外三名

主文

本訴のうち、請求の趣旨第一、第二項、第五ないし第一一項及び第一三項については、いずれも訴を却下する。

請求の趣旨第三、第四項及び第一二項の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は本件口頭弁論期日に出頭しないが、その陳述したものとみなされた訴状は別紙記載のとおりである。

被告指定代理人は別紙答弁書記載のとおり答弁した。

理由

一、請求の趣旨第一項及び第二項について

行政事件訴訟特例法第一条のいわゆる抗告訴訟及びこれに準ずる無効確認訴訟の対象となる行政処分とは、行政権が優越的地位において公権力の発動としてなす行為であつて、国民の権利義務に直接関係のある個別的具体的行為を指すものと解すべきである。しこうして、異議の申立の決定、訴願の裁決等行政争訟の裁断行為もこの意味における行政処分と解されるが、それはこの決定ないし裁決の対象として不服を申立てられた処分が行政処分であることによるのでないことは勿論であつて、異議ないし訴願等の申立人が有する原処分の取消ないし変更請求権を裁決において認容しなかつたことが、申立人の具体的権利を侵害する点において、抗告訴訟及び無効確認訴訟の対象となるものといわなければならない。従つて、行政庁の処分に対し、上級行政庁に対し不服の申立が認められている場合であつても、申立人に原処分の取消ないし変更を求めることが具体的な請求権として認められていない場合、言い換えれば不服申立に対する判断をなすことが不服を申立てられた行政庁の法律上の義務とされていない場合は、たとえこの判断がなされることがあつたとしても、右判断は抗告訴訟及び無効確認訴訟の対象としての行政処分と解することはできない。

原告は請求の趣旨第一項及び第二項において、原告のなした情願に対する法務大臣小島徹三の請求の趣旨掲記の各裁決の無効確認ないしは取消を求めている(そのいずれであるか、あるいは双方を求めているのか必ずしも明らかでない)ので、まず情願に対する裁決の性質について判断することにする。

情願については、監獄法第七条において、在監者は監獄の処置に対し不服があるときは主務大臣又は巡閲官吏に情願をなし得る旨規定しているにすぎないのであるから、在監者は監獄の処置である以上、それが法律行為であるか事実行為であるかを問わず情願の対象とすることができ、その不服の理由もその処置が違法不当であると主張する場合は勿論のこと、単に自己の希望に反することを理由とすることもできると解される。この様に、情願事項及び情願事由が極めて抽象的かつ広汎であることよりすれば、情願者に情願事項の実現を求め得る具体的請求権があると解することはできず、情願は在監者が監獄の処置に対し自己の希望を申出て、主務大臣の監獄に対する監督権の職権発動をうながすもので、いわゆる請願の一種と解するのが相当である。従つて主務大臣である法務大臣は、情願に対しこれを受理し誠実に処理すべきは当然であるが、その処理に当つては、あるいは裁決をなし、あるいは当該監獄に対し監督権を発動するなど適宜の措置を講ずれば足り、それ以上に、その採否の決定を情願者に表明すべき法律上の義務があると解することはできない。もつとも、監獄法施行規則第七条には、巡閲官吏は自ら裁決をなすか主務大臣の裁決を乞うことができる旨の規定があるが、右規定は巡閲官吏の権限を定めたもので、これにより法務大臣の裁決を義務づけたとは解し得ない。

よつて、情願に対する法務大臣の裁決は、行政事件訴訟特例法第一条の抗告訴訟及びこれに準ずる無効確認訴訟の対象たる行政処分に該当せず、これが無効確認もしくは取消を求める請求の趣旨第一項及び第二項の訴はいずれも不適法なものといわなければならない。(なお、右各請求の趣旨が各裁決の取消を求める趣旨であれば、右訴は当該処分をなした行政庁たる法務大臣を被告とすべきところ、国を被告としているのであるから、この点においても不適法たるを免れえないこととなる。)

二、請求の趣旨第三項ないし第一〇項について

右の各項において、原告の求める裁判がどのようなものであるかは必ずしも明確でないが、訴の全趣旨から考え、原告は帯広刑務所長の処分(原告は同刑務所管理部長や看守長らの氏名をあげて、これらの者が当該処分をしたかの如き主張をしているが、行政処分をなし得る権限を有する行政庁は、本件の場合帯広刑務所長であつて、同刑務所管理部長らは同刑務所長の処分の執行に当つたものであると解するのが相当である。)の取消ないし無効確認を求めているものと解し、以下各項につき判断する。(もつとも、処分の取消を求めるものであれば、被告は当該処分をなした行政庁たる帯広刑務所長でなければならないから、この点において原告の訴は不適法たるを免れ得ないこととなる。)

(一)  請求の趣旨第三項について

原告は、昭和三四年一一月一三日田森善次との接見を拒否した処分が違法であると主張する。

受刑者の接見については、監獄法第四五条第二項は「受刑者ニハ………其親族ニ非サル者ト接見ヲ為サシムルコトヲ得ス但特ニ必要アリト認ムル場合ハ此限に在ラス」と規定するが、行刑累進処遇令第六一条は、第四級の受刑者は「親族及保護関係者ニ限リ」接見を為し得るものとし、同第六二条は、第三級以上の受刑者は「教化ニ妨ゲナキ範囲ニ於テ親族ニ非ザル者」との接見をも為し得ることにしている。

原告は、監獄法第四五条の規定は憲法に違反すると主張するけれども、有期懲役刑の執行は、国家の刑罰権の行使として受刑者を拘禁し、かつ定役を科すことにより、犯罪に対する報復をとげて正義の実現に寄与すると共に、受刑者を社会から隔離して一般社会を防衛し、かつ受刑者の教化、改善を図つて、その社会への適応性を回復、増進することを目的とするものであるから、右のような刑政目的に照すと、同条をもつて憲法に違反するということはできない。

ところで、原告は当時第四級であつたと主張するのであるから、前記行刑累進処遇令第六一条により、親族及び保護関係者とのみ接見し得ることになつていたわけであるが、前記田森が原告の親族または保護関係者に該当するものでなかつたことは原告の主張自体から明らかである。

原告は、前記田森が原告の身元引受人である島本虎三の代理人であるから、保護関係者として、これとの接見を許すべきであると主張するが、特に親族及び保護関係者に限つて接見を許している法の趣旨よりすれば、親族または保護関係者の代理人なるものは認めていないと解するのが相当である。

また原告は、共犯の柴田正光等五名が島影某との接見を許されたのに、原告に対しては前記田森との接見を許さなかつたから違法であると主張するが、前記監獄法ないし行刑累進処遇令の規定は、第四級の受刑者に親族及び保護関係者との接見を原則として認める趣旨であり、刑務所長は、親族等が不正不良の者で、これとの接見が受刑者の教化、改善に著しく害がある等の正当の理由がない限り、親旅及び保護関係者との接見を拒否することは許されないのであるが、前記法条は、刑務所長が刑政目的等に照し相当と認めた場合に、第四級の受刑者に親族及び保護関係者以外の者との接見を許可することまで禁じたものと解すべきではなく、これらとの接見の許否は、刑務所長の自由な裁量に委ねられているものというべきである。従つて、帯広刑務所長が前記柴田等に島影某との接見を許し、原告には前記田森との接見を許さなかつたとしても、それは同刑務所長の自由裁量の範囲に属することであるから、原告主張の理由のみをもつて、同刑務所長の措置を目して、直ちに違法ということはできない。

よつて、原告の右請求は理由がない。

(二)  請求の趣旨第四項について

原告は、昭和三四年一二月二四日の発信不許可処分は違法であると主張する。

受刑者の信書の発受については、監獄法第四六条第二項、行刑累進処遇令第六一条、第六二条において、前記接見と同様の規定があり、右の規定が憲法に違反するといえないことは、前項接見について述べたところと同様である。

従つて、当時第四級であつた原告は、原則として親族及び保護関係者以外の者に対して発信することは許されていなかつたところ、原告が発信を拒否された書簡の名宛人である阿部哲郎が原告の親族ないし保護関係者に該当するものでないことは、原告の主張自体によつて明らかである。

原告は、右書簡は情願をなすにつき法務大臣の住所、氏名を問合するためのものであつて、このような書簡の発信を不許可にすることは違法であると主張する。情願は、すでに述べたとおり、請願の一種と解され、監獄法上在監者に許された唯一の不服申立の方法でもあつて、刑務所長は、右在監者の情願権を尊重し、これを妨げてはならないことは勿論であるが、原告主張の書簡は情願そのものではなく、情願を提出するため法務大臣の住所、氏名を問合す趣旨の書簡にすぎず、かかる問合せの相手方が阿部哲郎に限られていたとも考えられないし、原告としては、監獄法上当然発信を認められている親族もしくは保護関係者によつても、その目的を達することができたわけであるから、右書簡の発信を不許可にした処分を直ちに違法ということはできず、その他、右書簡の発信を特に必要とする事情については、何らの主張、立証がない。(原告は、監獄法第四七条が憲法に違反する旨主張するが、同条は、同法第四六条によつて発信を許されている信書についても制限をなし得る旨を規定したものであつて、直接本件に関係する規定ではない。)

よつて原告の右請求も理由がない。

(三)  請求の趣旨第五及び第六項について

原告は、請求の趣旨第五項において、帯広刑務所長が昭和三五年二月頃まで数年間、同刑務所の全収容者を対象に同刑務所自主放送として、日本メノナイト帯広教会提供の録音テープにより「メノナイトアワー」を聴取させていたこと及び請求の趣旨第六項で、昭和三四年一〇月、全収容受刑者に対し、強制的に大谷派僧侶の仏教宣伝を目的とする講演を聴かせたことは、いずれも憲法第二〇条に違反すると主張する。

現行憲法は、第二〇条において宗教の自由と政教の分離について詳細に規定し、第八九条においてこれを裏づける財政面の規整を置いて、完教の自由の保障と政教の分離を貫徹していることは明らかである。

ところで、憲法により国及びその機関に対し厳禁されている宗教活動の意味は必ずしも明白でないが、宗教信仰の宣伝(一宗派の宣伝のみならず、宗教一般についてその信仰を宣伝する場合も含まれる。)を目的とする一切の活動と解するのが相当であろう。従つて、宗教信仰の宣伝にならない限度で、国及びその機関が、必要な場合宗教に関する一般的知識の理解、増進をはかることまで禁じられているものではない。人格の改善を主要な目的の一とする刑政の場においては、宗教信仰がこの目的達成のために、大きな役割を果すことがあることは明らかであるから、受刑者に対し、宗教の社会的機能について理解させることは、必要なことといわなければならない。この意味において、教育基本法第九条第一項の「宗教に関する寛容の態度及び完教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」との規定の趣旨は、受刑者の教化に当つても、十分に参考とされるべきである。そして右教化方法として、宗教団体の提供する録音テープを使用し、宗教家の講演を聴かせても、その内容が宗教信仰の宣伝に亘らない限り憲法に違反するといいえないことは勿論である。

本件において、原告主張の放送及び講演の内容が、如何なるものであつたかは必ずしも明らかでないが、仮りにその内容が右の限度を越えたものであつたとしても、放送とか講演は、一旦聴取されてしまえば、その目的を達し、再び聴取されない状態に復帰させることは不可能であるから、放送または講演がすでに行われた後においては、その処分によつて侵害された利益の損害賠償を求める等他の適当な救済方法を講ずることは格別、当該放送または講演を聴取せしめた処分そのものの取消ないし無効確認を求める利益はないものといわなければならない。

原告の主張によれば、「メノナイトアワー」の放送は昭和三五年二月頃を最後として中止され、また大谷派僧侶の講演もすでに行われていることが明らかであるから、右の各訴は、いずれも訴の利益を欠くものといわざるを得ない。

(四)  請求の趣旨第七項について

本項における請求の趣旨は明確でないが、その全趣旨及び請求の原因からして、原告は、昭和三五年三月当時帯広刑務所長が、収容者の私本購入及び下附着読許可に関して、各種の制限と級別による差別をした処分を訴の対象としているものと考えられる。

しかしながら、原告が昭和三五年三月当時の制限として主張するところは、第四級の受刑者に対し雑誌等の私本の購入及び下附着読許可を一切認めず、第三級には職業雑誌その他若干が許可され、第二級になつて「文芸春秋」等を許可するという帯広刑務所長の達示があつたというにすぎないのであるが、右達示は受刑者に閲読を許可する私本の範囲を定めた一般的準則ないし基準と解され、いわゆる抗告訴訟ないしこれに準ずる無効確認訴訟の対象たる処分は、本件の場合、右達示に基いて為された特定書籍の購入ないし下附着読の不許可処分であるから、原告の本項の訴は、その対象たるべき処分の特定性に欠けるばかりか、原告の主張自体において右達示は最近これを緩和する達示によつてかえられたというのであるから、昭和三五年三月当時の私本購入及び下附着読許可の制限の適否を争う利益は最早存しないと解され、従つて本項の訴は不適法という外ない。(なお、原告は請求の趣旨においては、明らかにその取消ないし無効確認を求めていないが、請求原因中で、第二級になつた原告が、購入着読許可を得た「中央公論」昭和三五年一二月号から深沢七郎作「風流夢譚」掲載部分を切取つた処分は、憲法第二一条に違反すると主張する。在監者の図書閲読については、監獄法第三条、同法施行規則第八六条、第八七条、行刑累進処遇令第五六条、第五七条等によつて規律されている。これによれば、第二級の受刑者は、刑務所の規律に違わない範囲で私本の閲読が許されているが、右の制限の存在は、前記刑政の目的よりすれば、直ちに憲法第二一条に違反するとは解し得ない。しこうして、ここにいう刑務所の規律とは、単に刑務所内の秩序維持の必要をのみ意味するものと解すべきでなく、教化、改善の必要をも含むものと解するのが相当である。ところで、前記「風流夢譚」は、一部にかなり刺戟的な描写があつて誤解をまねきやすい内容を有し、文芸作品としての影響を越える動揺を読者に与える場合もあり得るものであつたことは当裁判所に顕著であるから、帯広刑務所長が、刑務所内の秩序維持ないしは受刑者の教化改善に弊害ありとして、これが閲読を不許可にしたことは、必ずしも当を得たこととはいえないにしても、直ちに違法と断ずることはできない。雑誌などいくつかの独立した文章を含む書籍について、その中の一部に刑務所の規律に違反するものがあるときは、その部分だけを削除ないし抹消することは許されると解すべきである。従つて第二級の原告に購入着読許可した「中央公論」昭和三五年一二月号から「風流夢譚」掲載部分を切取つた帯広刑務所長の処分は、未だ憲法第二一条に違反するものと解することはできない。)

(五)  請求の趣旨第八項について

原告は、収容受刑者に対し、実働八時間を超える労役を科した処分の違法を主張する。

在監者の作業時間については、監獄法施行規則第五八条第一項に「在監者ノ作業時間ハ司法大臣之ヲ定ム」と規定され、昭和二八年一一月一九日正甲第一二七〇号法務省訓令(昭和二九年一月一日より施行)によつて、作業時間は休憩時間を除いて一日八時間、一週四八時間と定められている。もつとも、監獄法施行規則第五八条第二項は「典獄ハ地方ノ状況、監獄ノ構造又ハ作業ノ種類ニ因り作業時間ヲ伸縮スルコトヲ得」としているが、作業時間の伸長に関する限り、これを必要とする特段の事情がなければ許されないものと解すべきである。

ところで、原告の主張する帯広刑務所長の作業時間延長処分については、その時期及び内容のいずれも明確でなく、その特定性に欠けるばかりか、作業時間の延長は、すでに就役が終つた後においては、これを未就労の状態に返すことは不可能であるから、損害賠償等他の訴の方法によるはともかく、当該延長処分の取消ないし無効確認を求める利益はないというべきである。

よつて請求の趣旨第八項の訴は不適法である。

(六)  請求の趣旨第九項について

取消ないし無効確認の対象となる行政処分とは、事実行為の取消ないし無効という概念が無内容であることから明らかな如く、法律行為ないしは準法律行為に限られると解される。

原告は、請求の趣旨第九項において、情願許可までに八日間費したこと、情願書作成の機会を与えなかつたこと及び法務事務官大住正明等が原告の情願を妨げる目的で圧迫等を加えたことの取消ないし無効確認を求めている。

しかし、情願申出後許可まで八日間を経過したことや情願書作成の機会を与えなかつたことは、原告の主張からはこれに先立つ処分の効果としてであると解することはできないから、処分があつたということはできず、また、前記大住正明等の行為は、原告の主張によるも、右大住等が帯広刑務所長が行政庁としてなすべき法律行為ないし準法律行為を代つてなしたものとも、また、右大住等の行為に先立つ帯広刑務所長の処分があつて、右大住等の行為はその執行であると解する余地もないから、本項の訴は取消ないし無効確認の対象たるべき処分を欠き、不適法たるを免れ得ない。

(七)  請求の趣旨第一〇項について

原告は、帯広刑務所長が昭和三五年六月中新聞の閲読を禁止した処分の違法を主張する。

そもそも、新聞(主としていわゆる全国紙やこれに準ずる日刊地方紙をいう)は、国の内外に生起する政治、経済、社会などの各分野に亘る事実、事件の報導を主たる目的とし、広汎かつ復雑な社会機構の中に生きる現代人にとつて、それは不可欠なニユース源である。国民は、新聞を初めとするマス・メデイアで得た事実の上に、自らの意見を形成する。国民の、国民による、国民のための政治である民主々義は、この意味において、新聞を読む自由に大きく依拠しているといわなければならない。従つて、民主々義社会においては、国民が新聞を読む自由は、最大限に尊重されなければならない。

ところが、監獄法施行規則第八六条第二項は「新聞紙及ヒ時事ノ論説ヲ記載スルモノハ其閲読ヲ許サス」とし、同規則第一四二条は「在監者ニハ新聞紙、時事ノ論説ヲ記載シタル文書………ノ差入ヲ為スコトヲ得ス」として、全面的に新聞紙の閲読禁止を図つている。新聞記事の中には、脱獄事件などこれを受刑者に閲読させることによつて、刑務所の秩序維持と教化改善のために著しい悪影響を及ぼす虞のあるものがある。しかし、右の限度を越えて新聞紙の閲読を全く禁止する理由は、前記刑政の目的に照しても見出すことはできず、従つて、前記法条の違憲性は濃いといわなければならない。

ところで、原告が本訴において訴の対象としている処分は、帯広刑務所長が、国の予算により購入し、受刑者に閲読させていた新聞の閲読禁止処分であることは、原告の主張から明らかである。前述のとおり、受刑者に対し、新聞の閲読を全面的に禁止することは違憲の疑が濃厚であるといつても、これは受刑者の新聞の自費購読申請に対し、刑務所長はこれを不許可にすることができないというのであつて、更に進んで刑務所長が国の予算により新聞を購入して受刑者に閲読させる義務があると解すべきではない。現行法上、特に刑務所長が受刑者のため新聞を購入して閲読さすべき義務を定めた規定は存しないから、受刑者は刑務所長に国の予算により新聞を閲読させるよう求める権利を有しないというべきである。前述の新聞の果す社会的役割等を考慮すれば、刑務所長は、その費用で新聞を受刑者に閲読させることが好ましいとはいえても、なおこれをなすと否とは刑務所長の自由な判断に委ねられていると解する外ない。従つて、原告主張の如く、帯広刑務所長が昭和三五年六月中いわゆる三池争議や安保問題を受刑者に知らせないために、官有の新聞の閲読を禁止したとしても、右に述べたとおり、受刑者は当然に官有新聞の閲読を求める権利を有しない以上、帯広刑務所長の右禁止は、いわゆる抗告訴訟ないしこれに準ずる無効確認訴訟の対象たる処分ということはできない。よつて、原告の請求の趣旨第一〇項の訴は不適法である。

三、請求の趣旨第一一項及び第一三項について

原告は、請求の趣旨第一一項において、法務事務官大住正明、同羽柴達雄を各懲戒免職処分に付すべきこと、同第一三項において、この訴訟を行つたことにより帯広刑務所が、原告に対し不利益になるような一切の差別待遇をなさざることの作為及び不作為の請求をしているが、いわゆる三権分立制をとり、立法、司法行政の相互の抑制均衝の上に、国政の円満な運営を図つている現行法制の下においては、行政権の発動は、先ず行政庁の決定すべきことであつて、裁判所が行政庁に作為または不作為を命ずることによつて、実質的に行政庁の所轄に属する行政権を自ら行使するに等しい役割を演ずることは、司法権の行政権に対する不当な侵害として許されていないといわなければないから、原告の請求の趣旨第一一項及び第一三項の訴は、いずれも不適法である。

四、請求の趣旨第一二項について

原告は、北海道新聞外四紙に謝罪広告を掲載すべきことを求めているが、右は法務大臣の情願却下及び帯広刑務所長等の処分及び行為が違法であつて、これによつて原告に生じた損害を賠償する方法として求めているものと解される。

損害賠償の方法として、民法(原告の本件請求は国家賠償の請求であるが、国家賠償法第四条により、同法に特別の規定がない場合は民法の規定によることとされ、同法は損害賠償の方法については、何らの特則を規定していない。)第七二二条第一項は、金銭賠償を原則として、特例として、同法第七二三条により、名誉毀損の場合に限つて、金銭賠償に代えまたは金銭賠償と共に名誉を回復するに適当な処分を許している。新聞紙等への謝罪広告の掲載は、右による損害賠償の一方法であるが、本件において、原告主張のような謝罪広告を掲載する必要があるとは、原告の全主張よりするも認められないから、原告の右請求は失当である。

五、結論

以上の次第であるから、本訴のうち請求の趣旨第一、第二項、第五ないし第一一項及び第一三項の訴は、いずれも不適法であるからこれを却下し、請求の趣旨第三、第四項及び第一二項の請求は、いずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 福島逸雄 下門祥人 町田顕)

(別紙)

訴状(抄)

請求の趣旨

一、被告は原告に対し昭和三十五年三月五日付提出にかかる原告の情願に対する昭和三十五年八月二日付法務大臣小島徹三の裁決を取消し無効とする、との判決を求める、

二、被告は原告に対し昭和三十五年六月十七日付提出にかかる原告の情願に対する昭和三十五年十月二十四日付法務大臣小島徹三の裁決を取消し無効とする、との判決を求める、

三、被告は原告に対し昭和三十四年十一月十三日田森善治と原告の接見を拒否した帯広刑務所看守長羽柴達雄の処置を不当と認める、との判決を求める、

四、被告は原告に対し昭和三十四年十二月二十四日阿部哲郎に対する原告の発信を不許可にした帯広刑務所管理部長法務大臣大住正明の処分を不当と認める、との判決を求める

五、被告は原告に対し昭和三十五年二月頃まで数年間帯広刑務所が全収容者を対象にし刑務所自主放送として「メノナイト・アワー」を聴取させていた事は憲法第二十条の「国及びその機関は宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」に違反する事明らかであるから不当と認める、との判決を求める、

六、被告は原告に対し昭和三十四年十月帯広刑務所が全収容受刑者に対し強制的に大谷派僧侶の仏教の宣伝を目的とした講演を聴かせた事は憲法第二十条第一項及び「何人も宗教上の行為祝典儀式又は行事に参加する事を強制されない」に違反する事明らかであるから不当と認める、との判決を求める、

七、被告は原告に対し昭和三十五年三月原告が情願を行つた当時、帯広刑務所が収容者の「私本購入及び下附着読許可」に関し各種の制限と級別による差別処遇を行つていた事実は不当と認める、との判決を求める、

八、被告は原告に対し帯広刑務所が収容受刑者に対し事業成績向上の為規定の労働時間である実働八時間を超えて労役を科した事実は不当と認める、との判決を求める、

九、被告は原告に対し昭和三十五年二月二十六日原告が情願を申出たのに対し、之を妨げる目的で原告に対し圧迫を加えた帯広刑務所看守長宮川勇松等の行為は不当と認める、との判決を求める

十、被告は原告に対し昭和三十五年六月中帯広刑務所が全収容者に対し新聞の閲読を禁止した処置は不当と認める、との判決を求める

十一、被告は法務事務官大住正明、看守長羽柴達雄の両名を国家公務員法第八十二条第二号及び第三号に該当するものとし懲戒免職の処分にする、との判決を求める

十二、被告は原告に対し北海道新聞北海タイムスの全道版に、朝日新聞毎日新聞読売新聞の北海道版に、縦十センチメートル、横十センチメートルの左記の如き広告を掲載し陳謝の意思を表明すべし、との判決を求める、

謝罪広告

帯広刑務所収容受刑者

大橋達殿

あなたより提出された昭和三十五年三月五日付及び昭和三十五年六月十七日付情願を理由なく却下した事は申訳有りません、帯広刑務所があなたに対し不当な処遇を行つた事実を認め深く謝罪致します

昭和 年 月 日

法務大臣 植木庚子郎

十三、被告は原告に対し原告がこの訴訟を行つた事により帯広刑務所が原告の不利益になる様な一切の差別処遇をしてはならないとの判決を求める、

十四、この訴訟の一切の費用は被告の負担とする、

との判決を求める。

請求の原因

一、について

監獄法第七条は在監者が監獄の処置に不服あるときの情願に付いて規定するものであるが、これは在監者の権利と解すべきであり、刑務所長と言えどもこの権利を行う事を妨げたり又この権利を行つた事によつてその者に差別処遇をする様なことは許されないと言わねばならない。

刑務所に於ける受刑者の立場は自由を拘束されており絶対的権利の下にあつてきわめて弱い状態に置かれている、

監獄法第七条の情願はこうした状況の下にあつて刑務所側の不当な処置に対し受刑者(在監者)が自己を救済する為の唯一の手段なのである、

受刑者から情願を受けた法務大臣はその情願に基きよく調査して誠実に処理する責任がある、にもかかわらず原告の情願に対し具体的な調査もせずしかも理由も全然付さず却下したことは遺憾であり法務大臣自ら監獄法第七条を死文化させるも同様である、

監獄法の情願は訴願制度の一つと解されるが、訴願法第十四条にも、裁決には理由を付すべきこと、訴願を却下する場合も同様に其の理由を付すべきことを明らかにしている、

情願に対し理由を付さない裁決は裁決としての体裁をなさぬばかりか訴願法に照らしても明らかに違法である、法務大臣がこの情願を却下したことは勿論、裁決に其の理由を付さない事実は明らかに不当である、

情願をした者はそれが何故却下されたかを知る権利がある、

情願を軽視し一片の誠実も示さず一方的に却下した法務大臣の処置こそ権力万能の官僚主義である、情願に対するかかる取扱いは人権を無視するものであり憲法の精神に違反する、

二、について

右と同じ

三、について

昭和三十四年十一月十三日、帯広市西八条南十五丁目田森善治は小樽市南高島町七三番地島本虎三の依頼を受け帯広刑務所に大橋達との接見を申出た処、帯広刑務所分類課長であつた看守長羽柴達雄は接見を不許可にしたものであるが、これはきわめて不当な処置であり同時に差別処遇である、以下其の理由を述べる。

島本虎三は当時道議会議員(現衆議院議員)をしており私の身元引受人であつた、私は当時、家族の者を通じて私の一身上の件其の他重要な事項に付き話したいので島本虎三に接見を希望していた、しかし島本は道議会等の関係で接見に来る事ができなかつたので島本と政治的立場を同じくする帯広市議会議員田森善治に身元引受人代理として大橋達と接見し其の用件を聴く様依頼したものである、

田森と私の接見を不許可にした看守長羽柴達雄に対し私が後日、此の事実が判明してからこの件につき詰問した処、羽柴は「田森は大橋と面識がないから接見を不許可にした」旨、其の理由を明らかにし釈明したものであるが、この様な詭弁をもつて其の職権濫用をかくすことは出来ない、

第一、面識がないことは接見不許可の理由にはならない、又、帯広刑務所は面識がなくとも接見を許可している実例もある、帯広刑務所には私の共犯の受刑者が六人服役しているがこのうち柴田正光、長尾陸奥男、富井誠、中島正利、大原英夫の五名はいずれも日本共産党帯広地区委員会委員長島影某と面識がないにもかかわらずこれとの接見を刑務所は許可している、此の事実をみても羽柴の言う「面識がないから接見させない」と言う事が如何に根拠のないものであるかが判る、

しかも田森は私が身元引受人として申請した島本の代理として来たものであり、当然保護関係人と見なすべきである、羽柴の言はデタラメであり信を置けない、そして田森との接見を不許可にした処置は不当であり、前記五人の共犯者の島影に対する場合と比べて不公平な差別処遇であると云う事ができる、これは故意に私の不利益を行おうとするものと認める、接見に関し監獄法第四十五条には受刑者及び監置に処せられている者には親族以外の者との接見に付き原則的に之を禁止しているが、この様な規定はこの法律が作られた明治四十一年当時には社会的に容認されたかも知れないが、今日の常識と憲法をもつてしてはかかる規定はもはや通用しない、親族の無い受刑者や親族以外の者を身元引受人とした者は、身元引受人にすら接見出来ない事になる、

もつとも監獄法第四十五条には但し書があり、それが例外規定となつているが、必要ありと認むるか否かは全く刑務官の自由な判断に任ねられている訳で何等の基準もない、其の他監獄法には在監者の権利としての明白な規定は見当らず結局此の法自体憲法に違反している。

行刑累進処遇令は監獄法と互いに矛盾するものを持つており(例えば、一方で許していないものを一方では之を許している、と云う如く若干進歩的であるが、同処遇令第六十一条は第四級の受刑者に対し保護関係者を含めて接見を認めている、しからば、

前記五人の共犯者に対し面識が無いにもかかわらず日本共産党帯広地区委員長島影某を保護関係人と認めながら、私に対しては田森が島本身元引受人の代理として委任されているにもかかわらず之を保護関係人と認めなかつたのは何故か、

また仮に、田森が身元引受人とは関係なかつたとしても接見を拒む理由はない、結論として羽柴の処置は職権濫用である。

四、について

阿部哲郎は小樽地区労働組合会議(二〇、〇〇〇名)の最高責任者たる議長であり、私は昭和三十四年九月八日服役する以前に於て同会議の役員をしており阿部とはこうした関係で交友関係にあつた、又、阿部は私を含めて共犯者十数名を対象とした「七、一五事件救援対策協議会」にも関係しており、私の保護関係者としても密接な関係にあつた、

私は帯広刑務所に入所当時健康を害していた、それは刑務所に於てはきわめて杜撰な食品管理による中毒事件もあり、信じられぬ程安価な副食費(一日十九円五十銭)によつて栄養失調の状態になり身体衰弱し毎日の労役に苦痛を感じる有様であつた、刑務所に於いて医療を担当するものもあるが健康を回復させる様な栄養剤等はないため、私は自己の健康を保持する為、私が刑務所に領置した栄養剤の下附を出願したものであるが、これは医務課長及び保安課長の拒否する処となつた、其処で更に私は栄養剤の領置下附が駄目なら購入使用を認めてもらい度い旨申出たが、これも許可されなかつた、

私はこの処置を不服として監獄法第七条により法務大臣に情願しようと思い、担当看守に其の旨を話し、「法務大臣の氏名と法務省の所在地」を尋ねた処、担当看守渋谷登は「知らない」と言うので、やむなく私は阿部哲郎に手紙を出して阿部から大臣の氏名等を知ろうと思い、其の旨の発信を出願した処、看守長山口静夫は之を許した、そして同日私にこの発信用の封緘葉書一枚が下附されたのである。

私は其の封緘葉書に用件をしたため渋谷看守に提出した、其の翌日、私は念の為め「阿部宛の書信は投函してくれたか」と渋谷看守に尋ねた処、同看守は書信係と電話連絡の上「確かに投函した」と回答した。処が投函したと云う事は其の後事実ではない事が判明した、私はこの様な欺瞞に対し厳重に抗議した、看守長羽柴達雄は私に情願をやめる様に説得した、私はこれを拒否すると、今度は管理部長の法務事務官大住正明は「阿部哲郎宛の発信は不許可にする」旨の処分を発表した、私は不許可の理由を尋ねると、大住は何等の説明もしなかつた、私は「具体的にどの部分のどの表現がいけないのか明らかにしてほしい」と迫つたが又「不適当と認める部分は削除しても良いから発信を許してほしい」とも言つたが大住はいずれも之を拒否した、

かくて一度許可された阿部宛の発信は大住によつて其の許可が取消された訳である、なおその際、大住は発信を不許可にした事によつて封緘葉書の代金、十二円也を自分が弁償すると云つた、私は大住に対し具体的理由も示さず一旦許可したものを一方的に不許可にする様なやり方にはとうてい納得出来ない、将来此の問題で争うから阿部宛の書信は監獄法規の定める処により責任をもつて保管してもらいたい、旨証拠の保全を要求し、大住の処分が不当であることを主張した。

監獄法第四十七条は不適当と認める信書の発受を許さぬ規定であるが、此の条文自体は憲法第二十一条に違反する事明白である。

監獄法第四十七条に云う「不適当」とは何をもつてそう判断するのか、もし「刑務所に都合の悪い事」が総て不適当と考えるのなら監獄法第四十七条は刑務官の保身の為の条文と言わねばならない、

受刑者の発信に対する帯広刑務所の処遇はきわめて杜撰であり例えば行刑累進処遇令第六十三条では第二級の受刑者の発信は毎週一回之を認めているにもかかわらず、第二級の受刑者に対し昭和三十二年以来、最近私がこの事で法務大臣に情願するまで月三回しか発信定期のものを許さなかつた、定期発信以外の特別発信(阿部に対する発信は特別発信である)の取扱にしてもいいかげんであり受刑者の利益を考えているとは思えない、結局、阿部哲郎宛の発信を不許可にした事は大住正明の職権濫用であり、きわめて不当な処置である。

仮に監獄法第四十七条が合憲だとしても、本件証拠として提出する阿部哲郎宛不許可処分となつた書信を見れば客観的に不適当と認められる部分は毫も発見されぬことは、誰が見ても明ほかである。

五、について

憲法第二十条は信教の自由及び国の宗教活動の禁止を明確にしている、信教の自由とは、如何なる宗教でも之を信仰する自由であり一切の宗教を信じないことの自由でもある、そして「如何なる宗教団体も国から特権を受け」る事は禁じられているのであつて、これは宗教団体の布教活動等に行政機関が便宜を与えることも禁ぜられると解すべきである、

帯広刑務所が全収容者を対象にし刑務所自主放送の番組に「メノナイト・アワー」を組んで之を全収容者に聴取させていたことは、宗教団体の布教活動に便宜を与えたと云う事ではなくて、より積極的に帯広刑務所自体が宗教教育を意味する宗教活動を行つたと認められるのである、

「メノナイト・アワー」はキリスト教の布教宣伝を目的とするものであつて帯広市西七条南十七丁目日本メノナイト帯広教会が其の録音テープを提供しているものである、此の事実は教会と刑務所の提携である、この様に刑務所が特定の宗教と結んで積極的に行動する事は明らかに憲法第二十条三号「国及びその機関は宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」に違反する、

六、について

憲法第二十条第二号は「何人も宗教上の行為祝典儀式又は行事に参加する事を強制されない」とあるにもかかわらず帯広刑務所が昭和三十四年十月受刑者全員を強制的に刑務所内講堂に集め大谷派僧侶の仏教に関する講演を聴かせたことは明らかに憲法違反である、帯広刑務所には常時五〇〇名程度の受刑者が服役しているが之等受刑者の中にはキリスト教信者も居れば天理教も居る、創価学会も居れば仏教も居る其の他の宗教を信仰する者又全然宗教を持たぬ者、更に宗教を排撃するもの等多種多様である、

これに対して特定の宗教の宣伝を行う事は、其の特定の宗教団体に対し刑務所が布教の便宜を与たた事になる、

もつとも刑務所が大谷派僧侶に対し講演を依頼したものであれば其処に積極性が認められるから、これは明らかに宗教教育を目的とする宗教的活動であり、これは憲法第二十条第三号の禁じるところである、

刑務所が受刑者に教誨を施すに又教育を行うにもつぱら宗教団体の力をかりる事は教育刑主義の本質に反すると共に現代の常識を逸脱するものである。

七、について

最近に至つて帯広刑務所では受刑者の私本着読許可の達示が改正され、却下された情願を行つた当時とは緩和されたので事情は異るが(しかし現在でも累進処遇の級別による差別、雑誌の制限等は依然として問題を含んでいる)却下された情願の当時の私本着読許可の達示は累進処遇の第四級の受刑者(この情願をした当時私は第四級であつた)に対し雑誌等の私本の購入及び下附着読許可を一切認めない、と云うものである、そして第三級に進級するに及んで職業雑誌其の他若干が許可されるに過ぎない、「文芸春秋」は第二級にならなければ着読許可されない(これは現在も同様である)この様な制限は何等根拠の無いものであつて教育刑主義の本質に反するものである、

又、許可した雑誌等も其の内容に於いて「不適当」と認める部分は其の頁を切り取つたり抹消したりしているが、この「不適当」と認めるものが取扱上多すぎる、

一体何をもつて「不適当」とするのか根拠に欠けると共に、この雑誌の切取り抹消の作業を行う刑務官の知性と常識を疑わざるを得ない事例が山程あるのである。

最近の例では、私が(現在第二級)中央公論十二日号を購入し着読許可を得て、中央公論を見た処、三三三頁から三三六頁まで深沢七郎作「風流夢譚」を切取り処分にしてある、これなぞも其の意図する処の理解に苦しむものであつて、この様な雑誌の切取り、抹消の処分は刑務所だから許されると云うものではない、かかる処分は不当であつて憲法第二十一条に違反するものである。

結局、却下された情願を行つた当時、及び現在の時点に於いても私本着読許可の達示及び其の実行は共に不当である。

八、について

刑務所に於ける(懲役刑)受刑者の労動は刑法第十二条によるものであつて同条は「定役に服す」事を明らかにしている、この定役とは一定の労働時間を規則的に、与えられた作家に従事する事であつて、その一定の労働時間とは労働基準法第三十二条の実働八時間をもつてそれとする事が今日の常識として当然である、勿論私は受刑者に労働基準法が適用されるとは言わない、然し今日、如何なる社会に於いても其の労働の質と量とを問わず人間の労働する時間は実働八時間をもつて限度とする事は一般常識の問題である、実働八時間制こそ毎年五月一日に全世界に於いて行われるメーデーの起源を尋ねれば一八〇〇年代に於けるアメリカ合衆国シカゴ市の労働者が長時間労働よりの解放をめざし労働八時間制をとなえていつせいに大量の労働者が団結して実力を行使しゼネストを行つて以来各国の労働運動に影響を与えたものである、実働八時間制はかかる歴史的な意義を有するものであつて正に「人類が多年にわたる自由獲得の努力の結果」であつて之を否定するものは憲法を否定するものであると言つて決して過言ではない、

しかるに帯広刑務所に於いては事業成績向上の為、実働八時間を超えて労役を科している事実がある、

勿論、刑務所も一個の事業場として考えるならば、事業収入に付いても一定の目標も与えられているのであり事業成績の向上を常に考慮するのは当然の事であろう、しかし所謂生産性向上は一般社会に於ける産業の純粋な営利を目的とする性格と刑務所のそれとは本質的に異るのであつて、事業収入を増大させるよりも法律上の強制力によつて受刑者に科せられた労役を適正に遂行する事が優先するのであり所謂刑の執行と事業成績向上の結合は運営の技術の問題で解決すべきである、しかるにこの事を忘れて事業成績向上を受刑者の超過労働によつて解決しようとする事は必要以上の権力の行使であり明らかに不当であると言わねばならない、受刑者は規定の労働時間を超えて労役に服する義務はない、

この点に関し法務事務官大住正明は「刑務所は労働基準法が適用されないから受刑者を何時間残業させても合法である」と私に対し弁明しているがこの様な考え方は受刑者を奴隷扱いにするものである。結論として受刑者の超過労働に対する法務事務官大住正明の考え方が正しいか、受刑者大橋達の主張が正しいか黒白を決してもらい度い

九、について

法務大臣に対する情願は監獄法第七条の定める処による受刑者(在監者)の権利である、

この情願の内容に関し監獄官吏が圧迫する事を防止する為、監獄法施行規則第四条には「情願書は本人をして之を封緘せしめ監獄官吏は之を披問することを得ず」とあり、情願を行うに当つては在監者の自由な意思を法律は尊重しているのである、

刑務所に於ける情願制度は不当な処遇に対し自己又は他人の権利を回復し監獄官吏の横暴を糾弾する受刑者の唯一の手段であり何者も之を侵すことは不当であると言わねばならない、しかるに、

私が昭和三十五年三月五日付情願を行うに当り看守長宮川勇松等が圧迫を加えたことは不当な行為である、私は情願を行う旨を二月二十六日に五工場担当看守三宅明に申出ている、情願が許可される迄八日間を費している、これは必要以上の日数である、情願を申出たのに対し速かに情願書作成の機会を与えなかつた、之が先ず問題となる、次に法務事務官大住正明、看守長羽柴達雄の両名が情願の趣旨に付いて私に対し詳細に質問し、私の主張に反論して情願する意思を妨げ様とした事実、更に保安課長看守長宮川勇松は保安課に於いて、私に対し、情願は無益であること、又「情願すれば法務大臣の裁決があるまで昼夜独居にする」旨を迫り、この処置は全国の刑務所に於いて実施している処であつて、当刑務所でも情願をする様な受刑者は「落着きなきもの」と認め「昼夜独居」の処置をとることになつている、と説明し圧迫を加えたものである、

情願を行つた在監者を法務大臣の裁決あるまで昼夜独居の処分を行う様な制度若しくは慣行があるとは考えられない、若し実際にあつたらそれは情願に対する報復である、(実際に私は今まで情願を三回も行つているが、法務大臣の裁決あるまで昼夜独居に拘禁された事はない)宮川勇松がかかる説明をした事は私が情願を行わんとするを阻止せんが為であり不当なる圧迫である、

十、について

監獄法施行規則第八十六条は「新聞紙及び時事の論説を記載するものは其の閲読を許さず」とある、しかしこの規定は監獄法施行規則が制定された明治四十一年の時代的産物であつて今日の憲法と社会常識に通用するものではない、だからこそ今日の刑務所に於いては受刑者に対し犯罪記事を削除して新聞閲読の機会を与えているのである、監獄法第八十六条の規定があるにもかかわらず「時事の論説を記載するもの」を許しているのである、これは会計検査院及び上級官庁が帯広刑務所の会計監査を行うに当つて受刑者に閲読させる各種新聞紙の購読料の支出を認めているのは、かかる理由(監獄法施行規則は古過ぎる)にもとずくものと思われる、

帯広刑務所に於いては少くとも私が入所する昭和三十四年九月以降受刑者に対し毎日(免業日を除く)二日乃至三日おくれた新聞(朝日、毎日、読売等)を犯罪記事を削除して役場巡回して休憩時間に閲読させていたことは事実である、これは受刑者に対する教育の一部であると判断できる。

ところが昭和三十五年六月一日以降は昭和三十五年六月十七日付情願にある如く、突如として時事に関する新聞閲読の機会を与えなくなつた、これは三池争議や安保問題を犯罪記事と同一視し、削除を要する部分が拡大したので新聞そのものを閲読させぬ処置をとつたものである、

「三池」や「安保」を犯罪記事と同じ取扱をする事自体が問題である、

受刑者と言えども国民の一員であり、時事に関して「知る権利」がある、刑罰の目的に国際的国内的事情から隔離して一切の時事的知識を与えぬ事が加わつているとは考えられない、もし刑務所が時の政府にとつて都合の悪い事を時事の問題として受刑者に知らさぬと云う事であれば、刑務所教育の偏向(しかも政治的偏向)であると言わざるを得ない、

教育刑主義は刑務所に於いて人を更生させるに社会的常識と責任感を与え共同社会生活に適応する人間を養成させるものでなければならない、其の共同社会の実態も知らず社会的常識の一般も知らさずして何んの教育刑か、

例えば「今、社会で問題になつているのは何か」「安保である」「安保とは何か」それに答えるのが教育刑であらねばならぬ、如何なる場合でもラジオの生ニユースを絶対聴かせない(ラジオニユースの場合はスイツチを切る)刑務所にあつて新聞閲読こそ受刑者に時事に接しめる唯一のものである、これがその時の政治的事情によつて時事に接する機会を与えぬという処置は明らかに不当と云わねばならない、

十一、について

四、の発信不許可の件五、および六、の宗教活動の件七、の私本の件八、の残業の件九、の情願妨害の件十、の新聞の件は総て法務事務官大住正明の直接指揮による行為である、従つて一切の責任を負うべきである、

大住正明は其の地位を利用し所長にも相談せず独断で受刑者の権利を侵害し不法を行つた疑いがある、

三、の接見禁止の件は看守長羽柴達雄の直接指揮による行為である、従つて当然其の責任を負うべきである、羽柴達雄の行為は明らかに不公平、不当である、

この両者とも国家公務員としては不適とするのみならず此の上、刑務官として職務を行わしめることは有害である。

国家公務員としての職務上の義務は言うまでもなく憲法を忠実に守り人権を尊重し公正な態度をとるべきであつて、職権をやたらにふり廻し人権を侵害するが如きは明らかに職務上の義務に違反した事になる、

本訴状に指摘する如き事実は大住、羽柴両名の「国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」に原因するものであり、誤つた、或いは故意的な不当行為は「非行」とみなして当然である。

大住、羽柴の様な存在は良心的な刑務官にとつても迷惑な事であろう、両名をこのまま刑務所職員として置くことは将来の紛争の因子を養う如き愚である、国家公務員全体の名誉の為にも、かかる両名は追放すべきである。

よつて両名を国家公務員法第八十二条を適用し懲戒免職の処分にすべきである。

十二、について

私の主張が正しい事が認められるならば、被告である国の代理人法労大臣が私に対し謝罪するのは当然である。謝罪の方法は公的なものでなければならず新聞広告を利用する事が最も適している、

十三、について

本件訴訟に付いては、訴訟提起より一ケ月程度で裁判を開始し、六ケ月程度で判決をする様に特段の配慮を願うものである、私はすでに刑期の三分の一を過ぎ仮釈放の条件を具備している。私が釈放されてから判決が下つては私が本件訴訟を提起した意義がうすれる。私が在監中に審理が開始され判決が行われてこそ目的が達せられる訳である、私は敏速な裁判を切望している、従つて私がこの訴訟を行う事により私の不利益になる様な一切の差別処遇を禁じる旨の判決は、私が在監中に判決が行われる事を前提として求めるものである。

訴訟行為により差別処遇をしない、と云うことは当然のことであり、この事が確実に守られる様に裁判の判決の上においても保証を与えられたい。

十四、について

訴訟費用の被告負担はきわめて当然である。

(別紙)

答弁書(抄)

本案前の答弁

本件訴のうち、請求の趣旨第一項及び第二項の法務大臣の情願裁決の取消を求める部分、請求の趣旨第十一項の行政処分を求める部分並びに請求の趣旨第十三項の不作為を求める部分はいずれも却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

答弁の理由

原告の本件訴のうち、請求の趣旨第一項、第二項、第十一項及び第十三項の部分は、次に述べるとおりいずれも不適法であるから却下さるべきである。

一、請求の趣旨第一項及び第二項について。

(1) 情願に対する法務大臣の裁決は、行政事件訴訟特例法第一条のいわゆる抗告訴訟及びこれに準ずる無効確認訴訟の対象たる行政処分に該当しないのであるから、これが取消を求める訴は許されない。

すなわち、情願は、特別権力関係にある在監者が監獄における不当な処置につき法務大臣に対しその是正を求めるために、自己の希望を申出るいわゆる請願の一種であつて、しかもそれは単に在監者の処遇等につき法務大臣の監獄に対する監督権の職権発動をうながすに過ぎないものである。

したがつて、情願に対し法務大臣はこれを受理し誠実に処理しなければならないことは当然としても、情願者において情願事項の実現を求め得る請求権が付与されているものではなく、また法務大臣としても情願事項を実現すべき法的拘束を受けているものではない。のみならず情願に対しその採否の意思を情願者に対し明らかにすることはその処理として望ましいことはいうまでもないところであろうが、しかし法は法務大臣がその採否の決定を情願者に表明すべき法的義務を課しているものとも解し得ないのである。けだし、情願については、監獄法第七条において、在監者は命令の定めるところにより情願をなしうる旨規定し、これをうけて監獄法施行規則第四条乃至第八条が設けられ、このうち裁決については同規則第七条において巡閲官吏が情願の審査をしたときは自ら裁決し、又は法務大臣の裁決を乞うことができる旨規定されているだけで、法務大臣に対する情願の裁決については何ら規定していないことから見ても明らかだからである。したがつて、この規定は単に巡閲官吏の権限を定めたものと解すべきであり、法務大臣の裁決を義務づけたものではなく、この点においても他の一般の請願と異るところはないというべきである。

かように情願は請願の一種であり、また監獄法施行規則第七条にいう情願裁決とは請願法第五条の趣旨による一つの誠実な処理方法に過ぎないものというべきであつて、それはいわゆる訴願や訴願の裁決とは全くその性質を異にするものである。したがつて法務大臣の裁決の告知は、右のとおり単に情願に対する誠実な処理としての通知行為に過ぎないわけであつて、行政事件訴訟特例法第一条のいわゆる抗告訴訟及びこれに準ずる無効確認訴訟の対象たる行政処分に該当しないものである。

(2) なおまた、本請求は、行政庁の違法な処分の取消又は変更を求める訴については、当該処分をなした行政庁を被告とすべきであるにかかわらず国を被告としている点においても不適法な訴といわざるを得ない。

二、請求の趣旨第十一項及び第十三項について。

(1) 原告は、請求の趣旨第十一項において、裁判所に対し法務事務官大住正明及び同羽柴達雄の懲戒免職処分を求めているが、懲戒免職処分は、行政庁たる任命権者の権限に属するところであつて、裁判所が行政庁に代つて、かくの如き処分をなすことを求めることは憲法に定める三権分立の建前からして許されないことである。

(2) また、原告は、請求の趣旨第十三項においてこの訴訟を行つた事により帯広刑務所が原告に対し不利益になるような一切の差別待遇をしてはならない旨の裁判を求めているが、裁判所が行政庁に対し一定の作為または不作為を命ずることは、前同様に許されないところである。のみならず、本請求はその請求事項が抽象的でその具体的特定性を欠いているものであるから、いずれの点からも不適法である。

以上述べたとおり本訴のうち、請求の趣旨第一項、第二項、第十一項及び第十三項の部分はいずれも不適法であるから直ちに却下さるべきものである。

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